
今日は、本日台湾を飛び立ち、もうすぐでキャンパスに戻る予定の Koji です。
「なぜ台湾」
「何してるの」
などなど、身近な人にも不思議がられます。一言では語りきれない繫雑とした背景があり、質問される度にどう切り返してよいか頭を捻りますが、今回の投稿では、プリンストン生してどういった夏だったのかざっくり(短く、、、という部分は保証できません)共有出来たらと思います。

なぜ台湾
僕の以前の投稿をご覧になってくださった方は既にご存知かと思いますが、僕は台湾の大ファンです。
どこに惹かれるかというと、文化、歴史、政治的立ち位置、映画、音楽、食べ物(!)、自然、最近だと感染症対策など。そして何より、こんなに小さな列島なのに、各族原住民、客家、内省人、外省人、東南アジア系の移民、中国人・日本人としてのアイデンティティの方諸々、多様な民族が共生している社会も興味を搔き立てられます。現に僕の友人の家庭の中には、祖父母の代は「日本人」、両親は「中国人」、子供は「台湾人」、と三世代に渡って異なる民族意識が存在する家庭もあります。
僕自身、高校時代の中国生活で自分の帰属を幾度となく考えさせられ、違った民族同士ですんなりいかないことを経験したので、政治的な分断が日本よりやや顕著ながらも、同じ東アジアの中で大分上手く回っている台湾の社会に大きな興味を抱きます。
さて、ではなぜこの夏ここ台湾にいるのか。
話は約一年前に遡り、突如としてキャンパス、アメリカもろとも入れなくなった僕は、去年の九月にワーキングホリデー制度を使い台湾に入境し、一学期間日中はシンクタンクでインターンをし、早朝と夜にプリンストンのオンライン授業を受けることにしました。
この夏休みは、その時に取得したビザの残りの有効期限を活用し、台北にあるイタリア料理屋でアルバイトをする予定でした。理由は、台湾に戻ってもっとローカルな社会事情を知りたい、一年間習ったイタリア語・イタリアに関する知識を増強したい、レストランで接待のマナーを学びたい、ずっと会えなかった友達に会いたい、(アメリカと日本で食べられない台湾のグルメを追い求めたいボソボソ)雑多です。

し、か、し
僕は五月の中旬に、期末考査が終わるや否や、台湾に舞い戻ってきましたが、運悪く台湾のこれまでにないパンデミックと時期が重なってしまい、思い描いていたのと全く真逆の生活に。
日に日に新規感染者が増加し、それまで市中感染がゼロに等しかった台湾で五百人台の新規感染者が確認される日も。感染症の緊急レベルも4段階で1から2へ、2から3へと瞬時に急上昇し、その期間も当初の五月末から七月末まで延長されてしまいました。僕が入境してから数日後にはほぼ全ての外国人が入境禁止になったり、家の外ではマスク着用が義務化され、屋外では十人、屋内では五人以上の集会を開くと罰せられたり、と予想外の厳しい対策が出現。レストランはデリバリー以外のサービスが全て停止し、僕のアルバイトも緊急レベル延長に伴い延期され、結局おじゃんになってしまいました。

何してるの
では、この期間何をしていたのか。
緊急レベル3の最終的な期限の7月28日までは、台北から動かず、大体家で作業をしていました。
運よく、先学期務めていた東京裁判に関する学生アシスタントの仕事を続けさせていただくことができ、基本的には日英の翻訳をしたり、日本語での資料探しをしたりの日々です。とあるA級戦犯のドイツ人妻の元夫が原爆ドームの設計者だったのか。学校では東京裁判を、日本の戦時中の行いを裁いた出来事として淡々と習ったが、実際は事後法や裁判官の母国の都合で複雑化された背景があり、裁判官同士の軋轢の数年を経てようやく宣告にたどりついたのか。現在の国会でも度々と議題として取り上げられ、時には数日に渡って白熱した答弁が交わされていたのか。などなど、思いがけず関わることになった日本政治の、それまで全然知らなかった側面を学びつつ、アシスタントとして働くこともでき、計画外ながら有意義だったのかな、と振り返ります。
ただこの仕事、台湾で行う意味は全くない。むしろ日本に帰ってより豊富な資料の中で仕事をした方が効率がよいのでは。家から出られず、計画が思うように運ばないストレスや将来への漠然とした不安もかさなり、悶々とした日々が続きました。
数少ない支えは、六月上旬のピーク後徐々に減少し始めた新規感染者数と、僕と同じように家で大人しくパンデミックを見守っていた友人たちです。他の人がここまで厳格に新しい対策に従っているなら、自分も倣ってみて早く社会が再開するのをじっと待とう、と言い聞かせました。
実際、六月に梅雨が明けた頃から社会の緊迫状況も緩和され始め、同じく台湾の北部に住む一部の友人が近所の散歩や人の少ない近郊ドライブに誘ってくれるようになり、報われる気持ちでいっぱいでした。中には、去年の一月に中国でのウイルス拡大に伴って帰国させられてから会えなかった友人もいて、一生会えないと覚悟していた、世界中に散り散りになっている高校の同級生に再会できるかもしれないという希望が芽生えました。

そして、長い長い二か月間の忍耐の末、最近では毎日の新規感染者数が一桁台を維持するようになりました。
緊急レベルも3から2に緩和され、台北では制限付きで夜市も解禁となり、去年の秋と冬に見た光景が蘇ってきます。
僕の身辺でも、台湾北部以外の友人が台北に用事で上がってきた際に面会したり、その友人たちの実家に居候させてもらいながら台湾を一周したり、我慢の甲斐があったなと思います。




旅の途中では、至る所で日本の台湾植民時代の遺跡を目にします。年配の方々とお話しする時も、日本に対する想いを耳にし、特に最近では日本が台湾に寄贈した300万回分を超すワクチンについて(僕自身が贈ったわけではないのに)感謝されまくったり、台湾の選手も大活躍した東京オリンピックについての興奮を共有されたりします。霧社事件や皇民化政策等の暗い歴史がある中、単なる政治・経済的関係を越えて、日本との結びつきを切実に、嬉しそうに捉えている台湾の人と接すると、感慨深いです。


そして、予期せぬ苦難に見舞われた今回の夏休み。最終的には三つのことを主に気づかされました。
一つ目は、プリンストンが新学年前に校長が選んだ本を配布する Pre-read という制度で、今年の本の中に登場した code-switching という概念。コードは異なる言語、文化、生活スタイルによるマインドの状況を指し、それが複数ある人は場面に応じてコードを変更しなければなりません。コードを変えることで、その場に最適なメンタリティーを手に入れることが出来ますが、「自分」の人生にとって必ずしも有益とは限りません。コードが多ければ多くなるほど、一体どのコードが「自分」なのか分からなくなり、自己喪失に陥ってしまうからです。日本、中国、アメリカ、そして台湾で暮らした僕も、言語と場所によってコードを変えるたびに、人格や価値観すらずれ、葛藤の渦に吞み込まれてしまうことが多々ありました。今回 Pre-read を通して、それが誰にでも起こりうることであり、そのもがきを省みることで「自分」を再認識できるのだと学び、ふと肩が軽くなりました。パンデミックに翻弄され、生活様式ががらりと変わり、一種の code-switching が無意識裏に発動された今日も、振り返りをとおして、自分の行動の意味をより一歩踏み込んで考えさせられます。
二つ目は、パンデミックで様々な場面のオンライン化が加速する中、「自分の決定」をより鮮烈に意識させらることです。以前だと、実際に現地に行って対面で活動することが多く、「参加しない」「断る」「無断で消える」といった選択肢がないに等しい状況でした。物理的移動によって半強制的に活動に参加していたからです。しかし、オンラインだと、メッセージを無視する、カメラとマイクをオフにする、そもそもミーティングをすっ飛ばす、など、自分の意思によっていとも簡単に異なる選択をすることが出来ます。自分で決定できることが増えると暫時的に自由を手にした解放感がありますが、裏を返せば、自分の意思と責任で決めたんだからな、とプレッシャーを感じることも増えました。実際、完全オンライン学期になって夢のキャンパスとは程遠い去年のプリンストンも、「今年入学するかしないかは自分で決めてください。今年入学しない場合は、入学が再来年になる場合もありますが」、という難しい決断を最終的には自分で下さなければならなく、大学以降の人生もかかったことを一人で決定させるストレスがありました。
が、このストレスはみんなが抱えているものかと思います。六月の下旬から七月の中旬にかけて、僕は母校のオリエンテーションサマーキャンプをオンラインで運営することに携わりましたが、そのキャンプのリーダー、毎回欠かさず参加してくれた新入生や卒業生の方々、キャンプをサボることは容易だったはずです。それでも運営に尽力したり、参加していただいたり、「未来へつなげる」といった決断の意思がひしひしと伝わってきて、感銘を受けました。苦しいストレスな時期を美化してコロナ禍を通じた DX だのを謳う気にはなれませんが、オンラインという環境だからこそ、「自分の決定」とそれがもたらすインパクトを改めて認識しました。
最後に、成人としての世界です。この夏休み二十歳になった僕は、気持ち的には中国をはなれた頃の十八歳ぐらいの感覚です。しかし、台湾出境にあわせて行ったPCR検査で法定責任者の同意が不要になったり、「子供だった頃」というフレーズが現実味を帯びてきたり、十代ではない世界の未知が徐々に広がってきます。ちょっと前までは、「これは運だろう、十代だから運でも仕方ない」と失敗を運任せにしがちでしたが、今は「大人なんだから運なんか関係なくお前の全責任だ!」と顔面に張り紙をされているようです。台湾一周の旅行中も連日の雷雨で、一部大きく計画を変更せざるを得ない状況に陥りましたが、その時も「一か八かで行ってみよう」ではなく、「何かあったときに迷惑をかけられない」といった考えになり、ずっと前から行きたかった南部の海岸沿いの街への旅行を諦めました。手探りで大人の世界を踏みわけていますが、運任せで物を運ぶことを少なくする一年にしたいです。

では、いつもどおり、中国語の曲で締めくくりたいと思います!
家家は歌唱能力の高さで有名な台湾の原住民族の出身で、家家酒は子供と大人の関係を歌っています。大人の風格があってかっこいい歌手の一人です。会話調の歌手で、実践的な中国語のフレーズも学べると思うので、是非聞いてみてください!
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