Koji 筆:
サブタイトルを付けるとしたら、「プリンストンの学びにハマり始めてしまった話」となるだろうか。めでたくご卒業なさったえみりさんにこの際喧嘩を売る形である。

と、いうのは勿論冗談。
ただこの春学期、プリンストン大学での学生生活、特にここでの「学ぶ」という作業に、愛着が芽生え始めたのは事実だ。卒業までに、人並みの愛校心を獲得できるか否かは不透明だが、今まで反骨的に向き合ってきた大学に対する眼差しが、内部から少しずつ柔らかくなった気がする。
元々この投稿は、期末試験の呪縛を脱し、五月の颯爽とした風に吹かれ、解放感に浸りながら書く予定だった。案の定現実はそんなのを許容しない。やっと辿り着いた学年末の凪を噛み締める前に、夏休みのゴタゴタした大波が押し寄せた。大小様々な飛沫の中を揉まれながら漂っていたら、ワシントンD.C.での生活も一ヶ月半が経過していた。
多分いろんな説明が必要だ。が、時間と「知ってもらい隊」の趣旨との整合性、やる気等に鑑みて、きっと話の大部分のディテールが割かれる。たまたまやる気は程よくある。退勤後、スチームアイロンのようなへばりつく外気をなんとか切り抜け、目標値以上の距離をジョグできたからだ。(追記:と言っても、結局一日どころか一週間費やしても書き終わらず、ぼちぼち書き進めた)
先学期、他のメンバーがもっと頻繁にブログを更新するかな、と淡く期待していたが、皆多方面で忙殺されていた。その空白を埋めるべく、プリンストン大学に馴染みがない方、諸事情で情報蒐集をしている方の役に立つことをまず書きたい。

昨年同様、これでもか、と椀こ蕎麦が継ぎ足されるように雪が降りしきる中始まった先学期。他の人もウキウキして、自前のスキー道具を持ち出し丘を滑り降りていた頃は、なんとか楽しい雰囲気を共有できた。しかし、キャンパスのあちこちで行われている工事に伴った道路封鎖や、かろうじて開放されている道に遠慮なく長期滞在し、挙句の果てには凝固する雪には、憤慨する以外に外無かった。
心から興味のある授業四つを取っていたことが、講義やクラス(precept)へ足を運ぶ原動力だったのではないか、と振り返る。数学は、経済や統計の必需科目として取らざるを得ない要因もあったが、高校で訳もわからず頭に叩き込んだ内容を応用、発展させる時は、抵抗感を覚えなかった。クラスを指導していた元気溌剌な大学院生は、個々人のレベルや興味に併せて、無理をしすぎない範囲で引っ張ってくれた。
リベラル政治を説くアイケンベリー・フリードバーグ教授の二人がタッグを組み、基礎のキから教える「大戦略(Grand Strategy)」のコースもかなり楽しんだ。ペロポネソス戦争を筆頭に、中世ヨーロッパ、中国の戦国時代及び秦王朝、近現代の二度の世界大戦と「戦後」等、舐め回すように世界史上の紛争を学び直した。随所で今日、少なくとも90年代以降、のアメリカの視座から語られる内容も多々あった。だが、それこそがわざわざプリンストンで「知る」「噛み砕く」「吸収する」「発表する」ことの意義なのだろう、と開き直る。
週末はこの授業のために、平均で300ページ読了した、あるいはできる限り読んだ。極論そんなことをするのは、自分を含むキテレツな一部の学生だけだったと思う。「おつかれ」と若干の憐憫を交えた目線を周囲から向けられたような気もしたが、大して構わなかった。
確かに一部の本は、買ってしまったんだから、という貧乏性が発動し、目を擦りなが読んだ。だが大概はのめり込んだ。孫子や君主論、クラウゼヴィッツの戦争論。はたまたアメリカからは、ザ・フェデラリストやケナンのX論文等、各時代の賢者が知恵を絞りに絞って、上澄みだけを差し出したような傑作たち。圧倒されて、完全消化すらままならなかったが、一見混沌とした現在政治にも応用の効く洞察力が養われた、ような気がする。それ以外の補助的な文献も、平和な環境でダラダラと育ち、恒常平和の実現可能性に特段疑念を抱かなかった安直な自分にとって、視野を広げる第一歩となった。
ただ、リーディングは飽くまで授業の下地にすぎない。運良くアイケンベリー教授のプリセプトに滑り込むことができ、教授からも、他の意欲と見識に満ちた学生からも、より踏み込んだ問題認識を学んだ。やはり「アメリカから見た」という軸がぶれることはなく、国際生として議論への参画方法が「正しい」か不安なこともあった。しかし、キャンパスの日常生活で大っぴらに語られることの少ない政治理論について、それぞれが根拠に基づいた意見を持ち寄り共有することは、刺激に満ちていた。オフィスアワーも珍しく活用して、地道に、貪欲に、大戦略の俯瞰図を増築した。

話を授業に戻すと、先学期は近現代ヨーロッパの所謂インテリについても学んだ。フランス、ドイツの近代思想史、特にマルクスやデリダを専門とする、イギリス出身のイギリス紳士の典型のような教授が教鞭を取った。ニーチェやパンカースト、フロイドから始まり、シュミット、ルカーチ(英語で Lukács を「ルカークス」と言っていたので若干の違和感)、アドルノとホークハイマー、カミュ、ラカン、ハヴェル等、名だたる「偉人」たちの主張を足速に学んだ。ファノン、シモーヌ・ヴェイユ、イリガレイ等耳にしたことすらなかった人物、はたまたアーレント、サルトル、フーコー等諸事情で読んだことのある人物も含まれていた。学期前は彼らに対する知識が不均一だったが、期末試験を終える頃には紳士的に整えられていた。教授の恐るべきカリスマ。
日本の学校を高校二年次に中退し、世界史に関する踏み込んだ知識はウェストファリア条約締結で終了していたので、元より未知に近い領域だった。それに加え、ヨーロッパという、自分のアイデンティティとは概ね無関係のコンテキストが、大前提として立ちはだかり、授業準備にはこれまた人一倍の時間を要した。ただ、これも「苦」であったとしても、「痛」ではなかったように思う。苦尽甘来、良薬云々の慣用句が言わんとすることのように、努力の先に煌めく達成感があった。
大戦略の授業と通ずることとして、自分のイデオロギー(政治的な含意を取り除いた、ideology = アイディア論・モノの捉え方として)と異なる概念系譜に足を踏み入れるのは、そもそもエキゾチックな魅力を伴う。先述のとおり、東アジアの儒教的思考ではなく、大陸ヨーロッパの文化構造内で理解しなければならなかったため、授業のたびにロジックの転換が必要であった。噛み砕いて言えば、自分の価値観を初期設定化し、ヨーロッパ風な発想をなるべく心掛ける、ということだろう。そうすることで、内容が正常に消化されやすくなった。
その後、それぞれの著者の主張を学ぼうとするわけだが、そこで個人差が浮き出てくる。詳述しているとキリがないので、簡潔に著すと、何か漠然とした「原点」たるモノに向かって、違った角度から鋭い観察眼が照射されているように感じた。主義・イズムと一括りにすると流動性を失うが、マルクシズム、フェミニズム、実存主義、構造主義、ポスト・構造主義等、名こそ違えど、観察対象は畢竟同じに見えた。角度が違うから、捉え方もバリエーションが生まれるわけで、そう言った各種各様の「目線」を第三の視点から俯瞰することを体験した気がする。内容の性質が特定の地域の学術で、取っ付き難さも覚えるが、実際は、普段人付き合いでこなしている作業の再確認のようだった。勿論、「原点」たるモノも、ヨーロッパという枠内だけで一先ず仮定したに過ぎず、普遍的価値とどれだけ親和性があるのかは、今後じっくり考察すべきなのだろう。そんな体力が自分に残っているとすれば。



一見関連性の全くない三枚の写真。インドのお祝い、ホーリーを、春休み明けに行った時の様子。東アジア図書館にひっそりと佇む、きっと資本主義を否定はしない仏様のお手元。実は春になれば桜が咲き誇る湖沿い。写真の授業の課題として撮った。
未だに日本の大学のシステムを完全把握していないので、プリンストン大学が実際どれだけ常軌を逸しているのか、理解していない。が、写真の授業の倍率がここまで凄まじい大学も、そう多くはないであろう。開講ぎりぎりまで残席がなく、半ば諦めかけたが、丸一日登録サイトにしがみついてどうにか飛び入り参加した。自分でも自分自身の執着心に畏れ入る始末である。
どうして写真?と首を傾げられると、言葉を濁すか、一、二時間の説明の時間が必要だ。勿論、この投稿ではもう少しマシな対応をしたい。
そもそも、私の以前の拙稿をご覧になった方は、何となく、記録好きな学生もいるんだなあ、という印象を持たれているのだろうか。間違いではない。カメラが欲しくなったのは、中国の西安を友人と旅行中、スマホで撮った兵馬俑の写真に落胆したことに起因する。その後、杭州、ハルピン、台湾各地、そしてアメリカやイタリア等、個人旅行であれ、インターンシップのイベントであれ、その時折を最善の方法で記録することは、自分を落ち着けた。コロナが始まった2020年の初春も、日々「予定」が狂うやるせなさと焦燥感にもがきつつ、カメラに記録された毎一瞬から希望を受け取った。好きな作家の、「喪失とは、私のなかに降り積もる時間が、増えていくことなのだった。」という一文に代表される、過去との向き合い方に似ている。飽くまでもきっかけだが。
写真にこだわる(アマチュアながら)のは、他にも大小様々な理由がある。親友の中に、機械を学んでいる者が多く、交流を通じて、パソコンでの写真編集や、もっと高機能なカメラに興味が湧いたから。情報発信をする際に役立つであろう、という直感。しかし、写真の授業を通して、他の二つの理由にも気づいた。

第一に、写真は文字と音のない言語である。私は勝手に、ちゃんと撮れば、写真だって会話をすると信じている。大学に入ってから、自分の英語の稚拙さに幾度となくうんざりさせられた。エッセイ、メール、日常会話。チームメイトとプリンストンの凸凹道をランニング中、こちらが息を切らして必死に食らいついているのを無視し、延々と話しかけてくる輩(誰でも仲間として受け入れてくれる寛大さはありがたい)。自分は言いたいことが「見えている」のに、言語化のプロセスが追いつかないことがよくある。特に英語だと。表現が安ぽかったり、しっくりこなかったりすることが多々。スタインベックのような文豪として生まれたなら別かもしれないが、アカデミックでしか基本使ってこなかった英語で、生活のあらゆる面を埋め尽くそうとすると、弊害が生じるのだ。
反面、写真だと自分のアイディアをより正確に伝えらる。自由奔放な性格を野放図に投射しても、節度さえわきまえれば、それで誰かの逆鱗に触れることはない。今のところ。英語よりかは、「語感」が働いている。まだまだ学ぶことは山積しているが、カメラは私にとって、翻訳コンニャクのようなものな気がする。
第二に、写真はヴィジュアル以外の情報も記録してくれる。その時に自分の関心があったこと、時間の流れの緩急、そして人間関係、とか。今回の投稿では敢えて、人を写した、乃至他社の存在を想像させる写真しか使ってこなかったが、それらを通して、私と被写体の関係性も掴めるのではないだろうか。通りすがりの外国人として、カメラを携えた仲間として、人気のない飛行場に侵入する共犯者として、等。同じ場面、同じ機材、同じ被写体であったとしても、私にしか撮れない表情があると信じたい。それは、被写体だけでなく、ファインダー越しに、私自身の置かれた状況をも写し残す。
昨夏台湾を離れる際に立ち寄った誠品書店(東京の日本橋にも出店したらしい)で、阮義忠の写真作品集に出会った。彼曰く、「人的生活方式就是最美的風景;人のライフスタイルは一番美しい風景だ。」少しずれているかもしれないが、同様の理由でキャンパス内外の人の写真を撮りたくった。他人の思わぬ一瞬一瞬を、自分なりに解釈してシャッターを押すことで、自分の社会的役割も認められたのかもしれない。同時に、閉塞的で味気ない、鬱憤の溜まった日々の生活にも、広々とした風景が姿を現した。
授業では、斬新で奇抜なことばかりを学ぶと思っていた。実際、使ったことのない編集ソフトやカメラの技術的な面、代表的な写真家の作品に触れ、自分ではどこから手をつけて良いかわからなかった事項に決着をつけられた。しかし、「で、君は何が撮りたい。で、どうして」、という難題を常に問いかけてくる教授であったため、とどのつまり内省が中核に据えられたコースだった。プリンストンらしいといえば、そうだろう。



ここまで来てようやく先学期の授業の記述が終わったのだから、それ以外の身辺の出来事を滔々と語っている余地はないだろう。ただ一点、夏休み中に読んだ本で、ハッとさせられたことを手短に共有できれば、と思う。
先述の作家のエッセイ集を読んでいた。私の知る限り、彼女は代表作で名を馳せるが、それ以外の作品が世間で熱烈に歓迎されているように思えない。児童文学、小説、エッセイ、翻訳、絵本等、書籍のありとあらゆるジャンルを網羅し、素晴らしい作品を世に送り出し続けているというのに。中には、自分の書いたフィクションを、更に別のフィクションで登場させ、村上春樹に勝るとも劣らない発想を展開している。
そんな彼女が、ご自身の読書録や、他の作家の書籍に「解説」として寄せたであろう文章を、再編集して出版した。「放射能と同じように目に見えない脅威、人と人との絆に入り込むような、不気味なパンデミック」「資本主義とは(・・・・・・)本来豊かさを求めているものでありながら、本質的な豊かさとはまるで反対の方向へ、加速をつけて世界を引っ張っていく」等の文は、蛍光マーカーでなぞりながら読んだ。彼女の洞察力と、「言霊」を重んじる(と言えば、誰を指しているか分かる人には分かるはずだ)からこそ生まれる説得力には、平伏してしまう。
勿論、他の作家の本を読んで書き記した彼女の感慨であるため、一言一句が彼女の思想を表現しているわけではない。ただ、彼女のその「作品」全体を読了して、ふと「これってプリンストンでエッセイを書く時と似ている。彼女の文章が百倍優雅なだけで」と思いついた。
先学期は、成績さえ伴わなかったが、自分の中で最も純粋に学業に打ち込んだ。「知る」という行為だけでなく、得た知識を紡ぎ合わせ、他者と共有することも含めて。それは時に黒板の数式を、活字を、議論を、或いは写真を介したが、本質的には「誰かの世界」を「自分の世界」に吸収・消化し、また他の誰かにそれを継承する一連の営みのようだった。自分に知識を与えてくれた他者も、そのようにして学び、「自ら」のアイディアを伝達してきた、のではあるまいか。そう考えると、プリンストンでの学びとは、始まりも終わりも曖昧な、「書評の書評の書評の書評の・・・・・・」と連綿と続く気がする。
気味が悪いが、そうやって教授やクラスメイト、社会中の顔も声も知らない他の人々と連帯しているのは、安心感がある。


今年の夏を過ごしているワシントンD.C.は、運河から海の気配を感じたり、モワッとする熱気に咽せたり、大都市らしい人情があったり、月に二、三回夕焼けが綺麗だったり、自転車でどこにでも行けたり、どことなく台北と同じような雰囲気を纏う。ということで、今回も台湾の音楽で締めくくりたい。
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