ご無沙汰しています、エミリです!
わあ、なんて贅沢なタイトル!!と自分でもちょっと引いています。
本心が30%、そんなバカなと思っている自分が30%、なんでそう感じているんだろうと問う自分が30%。(足したら90%にしかならないけど、まあいっかという自分が10%。w)

「4年生にもなったら、そんなもんだよ。今は遊ぶ時期だよ!」
「今ちょっと暇なだけだよ、コロナのせいだよ」
「私も休学を経て復学したから、同じだよ」
と言ってくれる人たちがいて、
実際に、卒業間近になると学業に対するやる気が皆無になる”Senioritis”(4年生病)と言う言葉が存在したり。
「大学の価値はディプロマ・学歴を取得することによるシグナリング効果にあるから、入学した時点でもうその目的はほとんど達成しちゃってるんだよ。だから大学で学ぶこと自体に価値はないんだよ!!」
、、、なんていう事を言う人もいたり。
「まあ飽きたとか言ってるけど、エミリなら楽しんでるでしょ」
って言ってくれる人もいたり。

それにしても、このままだとヌルッと大学最後のセメスターが始まってしまいそうなので、
文章に書き出して、ちょっと考えてみることにしました。
自分のために書いたような投稿ですが、興味のある方はぜひ最後までお付き合いください〜
なぜ「飽きた」?思いつく限りの仮説たち
あんなにも学びが好きで大学にワクワクしていた自分が、
なぜ大学に「飽きた」と感じてしまっているんだろう?
思いつく限りその原因を考えてみました。
【仮説1】興味のあることを一通り学び切ってしまった気分になっている
大学に入ったらOOを学んでみたい!
専門分野以外にもXXとYYも勉強したい!!
と、興味ドリブンにいろんな授業を取ったり、インターンをしてみた結果、今見えている範囲で興味の湧く学びを一通り経験してしまったのかも。

知識を全て得た、、と言うわけでは全くなく、どちらかというと
多くの、特に自分の専門に近い分野については、「学び方」がわかるようになったので、新しく知りたい事があれば、どうすれば情報が手に入るのか、誰に聞けばいいのか、どんな資料なら信憑性が高そうかがある程度わかるようになり、
また、知っていること照らし合わせるとある程度の理解までは辿り着ける、という感じかも。
講演会やイベントに行くと、どこかで一度聞いたことのある話が多いなあ、と思ってしまう事が多くなったりも。
これはきっと色々学んで来た証拠である一方で、知った気分になっているだけの危険な状態でもあると思います、、うーん。
【仮説2】「アカデミック」な大学に通っているのに、研究への志が薄れてしまった
私が特にプリンストンの魅力だと感じている「学術的・アカデミック」な雰囲気。
教授の生徒への手厚い指導や、卒論の執筆に重きを置く大学の姿勢。
そんな自分の大学の雰囲気や休学中の出会いに影響され、自分は「研究」がしたいのかも。。と志していた時期がありました(この記事に書いた通り)。
今でもその気持ちはある一方で、
プリンストン特有のJunior Paper(3年生研究)と卒論、またいくつかのリサーチアシストの経験を経て、個人的に興味のある分野の中で「できる研究」・「できない研究」、「評価される研究」・「評価されない研究」の輪郭が前よりはっきりと浮かび上がってきました。

まだまだ見えている世界が狭く、理解が未熟ではあると思うのですが、
自分が今やってみたい研究はどちらかというと「研究できない」+「評価されない」→「アカデミックな研究に向いていない」のかもしれない、と思うところがあり。
一旦、アカデミックな場を離れ、プライベートセクターでの経験を積んでみたいと思うようになりました。
しばらく離れることで研究にしか生み出せない価値に気づいたり、自分の向き不向きもよりリアルにわかったりして、研究っぽいことに帰ってくる予感はしていますが、
直近で研究がしたい!と言うモチベーションがなくなった今、プリンストンでの学びへの意義が少し薄れてしまったのかもしれません。
【仮説3】目先の進路が決まった安心感・・・!
とってもラッキーなことに、私は4年生の割と早いタイミングで卒業後の進路が決まったのですが(嬉し涙)、今まで裏でいろんな活動や勉強のモチベーションにもなっていた進路に対する「焦り」が驚くほど一気に無くなりました。
これには正直、自分もびっくり。

「今までそんなに焦っていた自分がいたんだ・・」
「自分も就活モチベで色々頑張ってた部分があるんだ」と。
多くの人にとって高校生活の分かりやすいゴールが「大学受験」であるように、アメリカとはいえ、大学生の多くはやはり「就職」を一つの大きなゴールとして頑張っているのは事実で。
そんな分かりやすい目標がなくなると、パッと気が抜けてしまうのは、
Goal-oriented / Growth-orientedな自分の性格の裏目だなと思ったりもします。
でも、こんなにフワフワ「飽きた」なんて言っていられるのは絶対に社会人になるまでの限られた間なので、後悔のないように残りの大学生活を過ごさないと、と思います。
【仮説5】休学を経て考えが柔軟になった結果の「心の余裕」
1−2年生の頃は授業の課題をこなしたり、勉強したりする容量が悪かったこともあり、キャパオーバーになってしまうことが多々ありました。
でも休学を経て、同じアウトプットに対しても、Productiveな集中力と、Unproductiveなエネルギーの消耗があることに気づけたり。
まだ完璧主義なところはあるけれど、物事に優先順位をつけて、大事でないことを切り捨てる事ができるようになったり。
その結果、
同じ量の作業を、前と比べれば少ないエネルギーと時間で捌けるようになった気がしています。

そうともなると、
環境が大きくは変わっていない限り、自然と時間&心の余裕ができて、
ちょっぴり「暇」・「飽きた」とも感じられる状態になっているのかも。
【仮説6】インプットのフェーズが終わって、アウトプットのフェーズが来ている
自分にはインプットとアウトプット、内向きな学びと外向きな行動のフェーズが波のように交互に来るように思えるのですが、
大学での学びは大きく括るとインプットなのに対して、社会に出れば実際にインパクトのある現場で手を動かすようなアウトプット作業が多くなると思っています。
その波で言うと、
きっと、自分にはいま、アウトプットフェーズに移るタイミングが来ているのかなと思います。

となると、
大学での学問的な学びは今自分が欲しているものと違っている・・
そんな気がしているので、大学最後のセメスターは矢印がより自分の「外」へ向いた活動、インパクトが少しでも出せるような場を探してみようと思います。
最後に、卒業した人の声
「エミリ、卒業後の生活は最高だよ!!仕事楽しいよ!
あんなに勉強させられる環境、やっぱりすごく特殊だったよ。
プリンストンなんてできるだけ早く卒業しな!笑」
と言う友達が何人かいる一方で、
「卒業して社会人1〜2年目は、めっちゃ辛いよ。
大学はやっぱりすごくコミュニティと刺激に恵まれた、特別な場所だよ。
残りの大学生活、大事にしなよ!」
と言う知り合いもいます。

きっと実際には両方の側面があるのかなと思いますが、
どちらにせよ、今ある環境を精一杯楽しみたいと思い、
いろんな人と話してアイデアをもらっている冬休みです。
それではまた!
エミリ
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