Koji 筆:
以前の投稿でも宣言したとおり、先学期は卒業後の外務省入省を目指して、国家総合職公務員採用試験(以下総合職試験)に授業と並行して取り組んだ。今後海外の大学に所属しながら総合職試験を受けようと考えている方が見つけやすいよう、敢えて露骨なタイトルにしたが、学業と両立させながら何とか試験に合格できた。合格の理由については、三年目にしての大学生活の慣れや記録的な受験者数減、計画的な受験対策など様々な要素が考えられる。本稿では、そのような複雑な事情にも留意しつつ、自分自身の総合職試験受験・合格体験を振り返り、情報が皆無に等しい海外大からの受験について、一つの事例を共有し次の誰かに役立てればと思う。ただ、「合格指南書」や「必勝法」では決してなく、飽くまで個人的経験であることを強調したい。
目次
受験背景
以前の投稿でも触れたように、それまで蓄積されていた外交への漠然とした興味が昨夏のワシントンD.C.でのインターンを通して具体的な決意へと変わった。外務省では専門職や一般職などの区分もあるが、日本の外交を最前線で牽引する力を持つ「総合職」に最大の魅力を感じ、そのポジションに応募する第一段階として総合職試験の受験を決断した。
まず、「国境を跨ぐ活動」と「政治」の組み合わせに対する関心は、中国語を習い始め、UWCに進学した頃から真剣に考え始めた。日中間の長い政冷経熱の関係は言わずもがな、領土をめぐる対立が過熱してからは、中国「政府」と中国「人」の区別を怠る風潮が日本でも湧き起こったと思う。生活が豊かで平和と謳われる日本でさえ、そうした短絡的な考えが広がるのを日々体感し、中国語を学んで日本や現地の中国人コミュニティーと交流してきた身として違和感を覚えた。
UWCの経験を通して、そうしたやるせなさが「ひと事」という言葉で表現できるのではないかと気づいた。UWCの友人は、台湾滞在やイタリア留学を即決してしまうくらい愉快でポジティブな人間性に溢れている人もいれば、イエメン、ベラルーシ、レバノン、ミャンマーといった政治的、経済的に不安定な地域に「家」がある人もいて、怒涛の世界情勢を自分に紐付けて考えるきっかけを多く与えてくれた。そういった機会の貴重さは中国でのコロナ感染拡大に伴い日本に緊急帰国し、がむしゃらにマスクを買い求める薬局前の行列を見てはっと気づいた。他人に構わず独善的に封じ込めてしまえば万事解決出来る、国際協力なんて大袈裟で絵に描いた餅だろう、と言わんばかりの印象を受けた。それが、UWCで自分の内で進行中だった「自分事化」と滑稽なほど相反し唖然とした反面、世界規模の問題に太刀打ちするには確かに大きな影響力が必要だし、個人としてついつい「ひと事」と先延ばしにしたくなる惰性も、理解できなくはなかった。ただ、そうした妥協に傾倒し折角知り合った友人をいつか見放していいのか、新たなジレンマも芽生えた。
そのような葛藤が心のどこかで徐々に繁殖したせいか、プリンストン大学に進学してからは政治学から公共政策・国際関係に専攻を転換し、昨夏はワシントンD.C.で三ヶ月を過ごすことになった。インターン先や宿舎に加え、Princeton in Washington というプログラムでもD.C.界隈の政治家や起業家の方と交流した。その中で強烈的に印象だったのが、ある外交官の方との短い会話である。宿舎を来週離れるから話しておいでと促され、夕食の時間中お話を伺った方から「日本は果たして弱腰外交なのか。アメリカや中国みたく他国に対してどちらの立場を取るか詰問するのが世界平和につながるのか。」「試験の手間や俸給の程度より、自国民の利益を増進しながら世界をより良くすることにやり甲斐を感じるかが要では。」とアドバイスを頂いた。そこで、UWCや日本出身のアイデンティティを基に、国際的な「ひと事」を打破する自分なりの貢献を果たすには、日本の外交に携わるのが最適ではないかと脳裏に電撃が走った。
そうして外務省、特に先述の「総合職」、への就職志望が固まった。人事院のホームページでその都度最新情報を確認して欲しいが、国家総合職公務員として希望省庁に採用されるには、主に二段階のプロセスを経る必要がある。第一段階が総合職試験の突破で、第二段階が官庁訪問と呼ばれる実質的な採用面接である。アメリカでの大学受験が良いアナロジーで、まずスタンダードテスト(=総合職試験)を受けて次に大学に出願する(=官庁訪問)のと似ている。今回僕はその第一段階を何とか乗り越えた次第であり、来年の大学卒業後に第二段階に挑む予定である。
受験準備
ちょうど受験を決意した時期に日本に一時帰国し、外務省の説明会に参加したり、書店を巡ったりしてどういったスケジュールで何を教材に受験対策をするべきかの計画を立てることができた。
総合職試験を見据えたスケジュールの立て方については、春の専門区分か秋の教養区分を受験するかで大枠を決められる。人事院の想定では、海外の大学を卒業する学生は主に教養区分を大学卒業後に受験することになっている。しかしそれでは大学四年次に職が決まらないどころか、省庁への就職活動の前提条件すら整わない。奨学金を受給していてある程度見通しのたった「予定」が期待されている上に、プリンストン大学で大学三年次には周囲の友人の進路が大体決まり始める中、卒業後の受験は非現実的である。しかも、教養区分は日本の大学生も受験できるため、必ずしも海外大生の負担を軽減するものではない。今回は幸い春試験の実施時期が早まり、期末試験など大学行事とぎりぎり重ならなかったため、専門区分で受験し早めに前提条件をクリアすることにした。
受験者全員が一般教養や政策論文など同じ内容を受験する教養区分と異なり、専門区分では政治・国際、法律、経済、そのほか文系、理系の様々な科目から自分の最も得意とするものを受験することができる。「専門」とあるだけそれなりの専門知識を応用する必要はあるが、教養区分と専門区分どちらがより難しく感じるかは人それぞれである。僕は政治・国際区分で受験した。
詳細については他のウェブサイトに丁寧に説明されているため、是非そちらを参考にしてほしいが、政治・国際区分の中でも必須問題と選択問題があり、各人の得意不得意で解く問題が異なる。僕は、必須問題の政治学、国際関係、憲法の三科目に加え、行政学、国際事情、国際法、経済学を選択した。
勉強方法もまた各人各様で、予備校に入るのも、独学をするのも、全く対策をしないのも自由である。僕はたまたま近所の古本屋で大体の教材を手に入れることができたので、必須問題と上述の選択問題で受験する予定の科目に関する、予備校の教材、一般の参考書、過去問題集を使うことにした。加えて、秋に開催された外務省の「内定者座談会」で昨年度の内定者の方の勉強方法を伺い、それも参考にして過去問を軸に対策を進めることにした。
そのようにして、いつ何を受験し、何を基に対策を進めるかを決めてからは、逆算的に計画を立てて対策を進めることができた。以下大まかなタイムテーブルである。
時期 | 内容 |
8月 | 【夏休み】 必要そうな教材を揃える。外務省の各種説明会に参加し情報収集。スケジュールを立てる |
9〜12月 | 【イタリア留学】 外務省の各種オンライン説明会に参加し情報収集(内定者座談会は特に有益だった)。折角留学しているので、現地でしかできないことを優先。政治学と国際政治学の参考書を暇つぶしにめくる程度 |
12月〜1月 | 【冬休み】 日本に帰るよりヨーロッパに残る方が安かったため、新しい場所に移動して長期滞在。友人と旅行にも出かけつつ、図書館に通い自習。参考書を読み込み、日本の大学生がどういった内容を学習するのか把握 |
2月 | 【プリンストン大学に復帰、春学期始業】 ショッピング・ピリオドの第一週は授業に集中し、授業の取捨選択。久しぶりに会う友人との付き合いを再開しつつも、「総合職試験を受ける」と伝えて春学期は勉強を優先することに対して理解を求める。日中は授業と課題に専念し、夕食の後は「新スーパー過去問ゼミ」シリーズを解く。憲法など自分にとって未知の分野や政治学の重要そうな知識は、i Pad のノートアプリに書き込む(→ 手書きで写したため記憶が定着しやすかった。受験当日に重い参考書を持ち運ぶ代わりに i Pad 一つでおさらいが可能に) |
3月 | 【中間試験、春休み】 総合職試験に申し込む。中間試験直近の二週間はその試験対策に専念。春休みは人影少ないキャンパスに残り、総合職試験選択問題の科目の知識を詰め込む。政治学や行政学、国際法は思想や学者の名前などを暗記。学部の授業で扱った内容も少なくなかった且つ、元々興味があったためあまり苦には感じず。自由時間が多いのを活用して夏のインターンシップへ応募。 |
4月 | 【一次試験、授業終了】 上旬の週末に一次試験。幸い金曜日に授業がなかったため、週末の数日に一時帰国し受験。日本からの出国直前に自己採点をし、一次試験を突破した確信を得たため二次試験に向けて予定を調整。プリンストン大学で授業に参加したことのあるアイケンベリー教授の理論が一次試験に登場したため、持ち帰った問題用紙にサインをしてもらう。二次試験の論文対策として知識のおさらいをしつつ、模範解答集を眺めて期待される文章構成を学ぶ。一次試験合格通知を受け取る。授業が終わり、ディーンズ・デイトまでの課題を試験準備期間初期に終わらせ時間に余裕を持たす。 |
5月 | 【二時試験、期末試験、退寮】 二次試験受験のため帰国。帰国期間は、一次試験の点数でだいぶ稼ぎがあったため二次試験の論文対策に更には労力を割かず、期末試験対策に集中する。二次試験は時差ボケが治らなかったことに加え、無駄に長い試験で受験中に頭痛になり、早々と回答・提出して帰宅。二次試験がディーンズ・デイトの二日前にあり、受験直後アメリカに戻り期末試験を受けたり、退寮の手続きを完了したりしてまたすぐ日本に帰国。二次試験の面接は期末試験最終日と被ってしまい物理的に受験不可能だったため、日程の変更を申請。二次試験の面接対策は「自分史」を作り、自分の過去の決断の背景や経験からの学びについて説明できるよう準備。約20分の面接では、提出書類に書いたことを中心に質問される。 |
6月 | 【インターンシップ開始、最終合格通知】 インターンシップのためカザフスタンに到着後、最終合格通知をもらう。 |
反省・提言
冒頭に書いたとおり、合格に無事辿り着けた要因は複数あると考えられる。
- 内因
- 事前知識:政治・国際区分に関する一部の知識を大学の授業で学んだことがあった
- 英語:一次試験の教養分野と専門分野両方でそれなりの数の英文読解問題があり、時間的余裕があった
- 計画:受験の約8ヶ月前から逆算して計画を立て地道に対策をしたことで、付け焼き刃にならなかった。大学生活にもだいぶ慣れたため、計画より捗ることもしばしば
- 周囲に宣言:家族や友人、教授にも「総合職試験を受けて日本の外交官を目指す」と高らかに宣言することで、合格に対する意識を高めるとともに、時間があまりないことについて理解してもらった
- 積極的な情報収集:外務省総合職に関する説明会や座談会に積極的に参加する一方で、知り合いの伝手で過去に海外の大学から国家総合職公務員として採用された方々と繋げてもらい、踏み込んだ質問もするなどして情報を集めた
- 外因
受験に際しては大学の学業とは両立できた反面、私生活で多くの妥協をせざるを得なかった。ニューヨークに遊びに行くのはおろか、キャンパスでの交友活動も削減する必要があった。自由時間を夕食とJSA(Japanese Student Association)とランニングだけに絞り、それ以外の食事やパーティー、学生団体の活動に関しては総合職試験対策を優先した。ただ、メリハリをつけるために自由時間に使う三つの活動については時間を惜しまず、夕食は仲の良い友人と平均一時間以上使って食べたり、JSAのイベントには出来る限り長く参加したり、ランニングはランニング仲間とプリンストンの凸凹道でハーフマラソンを走ってみたり、しっかりリフレッシュした。
今後の総合職試験に関しては以下の考えが思い浮かぶ。
- 今後海外大に所属しながら総合職試験を受ける方へ(参考程度に)
- 内定者座談会や業務説明会を中心に早い時期から情報収集を。できれば大学に進学するタイミングから
- 暗記が即ち悪徳詰め込み教育ではなく、試験対策で暗記した内容は授業で役立つ時が訪れるかもしれないので、授業準備と試験対策の一石二鳥と思い地道に暗記する。もちろん参考書を読みながら気になった内容を深く調べるのも楽しい
- 過去問は自分に足りない知識分野を見つける手段だけではなく、試験の型を学ぶよい機会なので、そういったコツが掴めるまで繰り返す
- 総合職試験以外のプロジェクトにも当てはまるが、メリハリをつける。また、大学の授業や私生活、総合職試験合格のいずれが究極的に最重要なのか優先順位を定めて挑み、どれを絶対に失敗させたくないのか予め決める。僕の場合は大学の学業を最重要に設定し、卒業後に最悪受け直せる総合職試験を二番目に優先した。
- 今後の総合職試験の形態・採用に関して
- 上述のとおり、卒業後の秋に教養区分を受けるという想定は非現実的である。また、日本国内でしか受験できないため、帰国や授業を休まざるを得ないといった負担が大きすぎる。より時間のある冬休みと夏休みの期間や、在外公館を活用した試験実施など、柔軟に対応する余地があるのではないか。
- 日本の慣行に従い四月入省を貫くのは果たして理にかなっているのか、全府省庁と人事院が協議する必要があるように思われる。外務省職員の方からは入省直後の集中研修が四、五月に行われる故九月入省などは至極難しいと伺ったが、官僚離れが進む中そういったスケジュールの機会費用を見つめ直すべきではないか。「伝統」が効率化に繋がる場合もあれば、足枷になることもあり、海外大生を積極的に公務員職に呼び戻すことの費用対効果を見極めながら、伝統と向き合ってもらいたい
この夏
話を切り替えて、この夏のことについても少し共有したい。現在は、Princeton in Asia(PiA)というプログラム傘下のインターンシップに参加し、カザフスタンの最大都市アルマトイにある協力大学でアドミッション関連の業務を補助している。
自分でも想定外のカザフスタンでのインターンシップだが、人生5つ目のビザを握り締め飛び込んだ次第である。PiA のミッションである「アメリカとアジア間の相互理解の促進」を胸に、日々真新しい世界を探検している。アルマトイはシルクロードのオアシスだったこともあり、中央アジア屈指の人口・経済規模を誇り、感覚としては広島市と同程度の大きさである。冬は大雪と大気汚染で鬱々としていたと PiA フェローの方がこぼしていたが、僕が到着した夏はそれとは対照的に、毎日カラッとした晴天で視界が霞むこともほぼない。ただ英語がなかなか通じないため、ジェスチャーや片言のロシア語でコミュニケーションをとることがほとんど。しかも大多数を占めるモンゴロイド系のカザフ人や中央アジア最大規模の朝鮮系コミュニティと見分けがつかないせいか、現地人と毎回勘違いされ誤解を解くのに四苦八苦。それでも、溢れんばかりの緑や、市南部に聳えるテンシャン山脈、ロシアと中央アジア文化の融合、至る所にありリーズナブルなカフェ(本稿執筆中もカフェで約300円のお茶を飲みながら)、親日的な人々など、随所に魅力を感じる。
それでは、以前の慣行に戻り台湾音楽を。
鳳小岳というイギリスと台湾のハーフの俳優が台湾語で歌う「風車」。鳳小岳は様々な映画やドラマで見かけたことがあり、個人的に気に入っている台湾映画の「九降風」や去年台湾で話題になった「華燈初上」に出演している。台湾語だと中国語の標準語を学ぶ方にとってはあまり役立たないと思うが、台湾語独自の詩的な情緒が味わえ台湾の風土をより深く感じるので、台湾に少しでも興味があればおすすめする。
それでは!再見 & ciao!
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