
こんにちは、今年9月から3年に無事進級した Koji です。
タイトルにあるとおり、今学期はプリンストンの密林を飛び出して、人の海、建物、タバコ臭、第三外国語、時々郊外の森に囲まれながらイタリア留学をしている。プリンストン大学と提携のあるブラウン大学のプログラムを経由しており、世界最古の現存する大学として世界史の教科書にもさりげなく記載されている、エミリア州はボローニャ大学で授業を受けている。大学自体は英語のコースにもかなりの力を注いでいるが、ブラウン大学のプログラム及びプリンストン大学の必須条件を満たすため、イタリア人の現地学生にひっそりと混ざりながら同じ条件で講義に参加している。渡航前、そして参加して2ヶ月が経過した現時点でも、おっかない決断としか思えないが、割とすんなりことは運んでいるようだ。今の所。
というわけで、直接プリンストン大学に関わる情報を収集する目的でここまで読み進めていただいた方には申し訳ないが、今学期のキャンパスの様子はほとんど見当がつかない。辛うじて、一斉送信のメールだったり、過去を振り返ったりすることで書けることがあるにはあるが、今回もキャンパスに残っているJSA(Japanese Student Association)の誰かが新情報を提供してくれるのを淡く願うこととする。
かと言って、イタリア留学も伝えたいことが多すぎて、学期真っ只中の今は時間が充分でないので、本投稿では写真でかさを増しつつ、ちゃんとした投稿は冬休みに先延ばしにしたい。兎に角、個人的に受験期に重宝していたこのブログが衰退しているのは淋しく、間接的ではあるが、一プリンストン生の留学奮闘記を通して何かしらの貢献を残したい。夏休みの終わりに Julia とインターンシップ、ワシントンD.C. での経験を語らったり、プリンストン大学のポスト・コロナの変容も耳にしたりしたので、読者の方のご要望があればそういったことも(他のメンバーにも執筆を促して)今後共有できたら、と思う。


話をボローニャに戻そう。なんと、自分でも唖然とするが、普段通う大学の写真が一切手元にないので、話が長くなりそうなことも考慮し、大学での体験談も冬休みに持ち越そうと思う。
ボローニャは、トルテッリーニ(tortellini)、所謂ボローニャ風ソース(ragù)、乱立する中世の塔、勿論ボローニャ大学等で観光客を集めるが、それ以外にもイタリア映画の巨匠パゾリーニ(Pier Paolo Pasolini)、神曲の作者ダンテ(Dante Alighieri)、「薔薇の名前」(Il nome della rosa)で日本で有名なエーコ(Umberto Eco)が学んだ、インテリな文化も充満している。土地の性質も面白く、アペニン山脈とポー平原に挟まれているため、サン・ルカ聖堂のような小高い丘の上では、一方が険しい山岳地帯、もう一方が長閑な田園風景という光景も見られる。因みに、サン・ルカ聖堂の全長3キロある回廊は、第二次世界大戦中爆撃で住居を失った市民に活用されていたという。更に、イタリアで最初に文明が発達した地域、エミリア街道(via Emilia)の歴史云々、文明史を知る上でも豊富な資料がある。




同じプログラムには、アメリカの他の大学からも学生が十数名参加しているが、彼らは休日にハンガリーだの、ポルトガルだの、ギリシャだの、イタリア国外に飛ぶことが多い。そういったスタイルを全面否定はしないが、よく一緒にジョグに行くハーバードからの参加者の友人が「折角イタリア語を習得して、イタリアの奥深さを学びに来たのに!今学期はわざわざお金を払ってイタリアを出ない!」と憤慨しているのを聞き、自分もその方針に追随することにした。時々リミニからサンマリノ、トリエステからスロヴェニアはコーパーを訪れることもあるが、どれも自転車を漕いで国境を跨ぎ、しかも数時間しか滞在してないので今のところは原則遵守できている。或いは、プリンストンのやや閉鎖的な環境に慣れすぎて、一つの国をあちこち回れるだけで腹一杯になっているのかも知れない。

とここで、時間がなくなってしまったのでそろそろ切り上げねばならないが、既に紹介したボローニャの魅力の中で一際存在感を放つのが、ボローニャ大学、特に学生やそれを取り巻くインテリな文化だと日々ひしひし感じる。イタリア全土でも珍しく、共産主義を支持する市民が多く、また学生が主体となった活動も盛んである。そのため、先日ネオ・ファシストと心配されるジョルジア・メローニ新首相率いる連合が選挙戦に勝利した際は、凄まじい怒号の嵐だった。写真のデモは、たまたま時期が重なったからか、社会問題に関して各々の視点からより大きな不満や不安を噴出させているようだった。これも学生の身分故の観察かも知れないが。

さて、普段なら贔屓にしている台湾系アーティストを紹介しているが、「折角イタリア語を習得して、イタリアに来た」ので、初めて聞いた時に感激したウルティモ(Ultimo)の曲で締めたい。彼の曲を聴くと、つくづくイタリア語の音楽性を知らしめられる。
それでは!再見 & ciao!
ブログランキングに参加しております。こちらをクリックして応援をよろしくお願いします!


